2005.10.29-30 10年ぶりに熱気球乗りました。
30年前に同級生達が熱気球クラブを創設したのを手伝った時からくされ縁で、行事のある度に参加させて頂いてます。
20歳の時に創部したので、
40歳の時20周年、そして、今回30周年で50歳を迎えようとしてます。
鳴子温泉のある宮城県は、広大な仙台平野があります。
稲刈りが終わった仙台平野は、熱気球の格好のプレイグランドとなります。
何しろ、一度飛び上がると、どこに降りられるかわからない乗り物です。
クラブが30年前10人も居なかったのですが、現在は30人規模で、OB会に出てきたOB30人としめて60人で学生の所有機3機、OBの所有機3機で計6機とゲストで来ている地元区クラブの2,3機が加わって、ちょっとした気球フェスティバルです。岩出山役場近くの、江合川河川敷から次々とランディングして行きます。
初代OBのN君所有の気球をOB2名+現役2名で立ち上げます。
熱気球を飛ばす準備です。
最初の送風機で風を送って、ふくらませてからバーナーを炊いて、中の空気の温度を上昇させて膨張させて内部の空気の密度を低くして、外気と浮力をしょうじさせて浮かばせる、古代から伝わる人間が空を飛ぶ方法です。
石松は、S先輩の車に同乗して、この気球をチェースします。
気球はどこに降りるかわからないので無線機で連絡をとりあいながら、回収用のバンが追いかけます。
これをチェースと呼んでます。
40分ほど飛行して、田んぼめざして降りてきました。
上手にランディングしました。さすが、N君600回フライトのベテランパイロットです。
ガスボンベを満タン品の交換して、再度離陸します。搭乗の2人に代わって、石松と現役生が搭乗して、再離陸しました。
チェースのメンバーは4人人いたので、他のOBにも乗るチャンスがあるのですが、1000回飛行の超ベテランのT君もS先輩も石松を優先させて乗せてくれました。貴重な体験を有り難うございました。
8時丁度にランディングです。10年ぶりで、ちょっと怖かったですが、どんどん上がって行きます。
あちこちに気球が飛んで増す。9機がフライトしてます。
風の方向は高度によって、異なるため、パイロットは、高度を変更することで、進行ほ方向を選ぶことができます。
山沿いになると、上昇気流によってUターンすることができます。
パイロットは、大きな地形図を眺めながて、GPSと高度計、他の気球の飛行方向、風のあたり具合など総合判断して、高度を選択します。
バーナーを炊くときだけぼーぼー音がしますが、
普段は、全く静寂の中を静かに風の中に浮かんでます。
自然にとけ込んでいる感じがすばらしいです。
25年くらい前に北海道の大会に行った時、帯広平野の原生林の上を木のへさきを擦りながら水平飛行して、
手で木のてっぺんの枝をふりわけながら飛んだ時が思いだされます。静寂の森の上を樹木の先端をかきわけながら静かに飛行するなんて異次元の体験でした。
1000フィートくらいの高度になると眺めもよくなります。
石松高所恐怖症なのですが、気球とか登山、スキーではちっとも怖くなりません。ビルなど人工物がだめです。
そろそろ降りるかと降下中なのですが、ちょっと、降下速度が速すぎて、地面と激突しそうなので
パイロットのN君急に動作が忙しくなって、バーナーをがんがん炊いて、地上1mくらいで急ブレーキをかけた直後、今度は、てっぺんから熱気をぬいて、急上昇を防ぐ動作を十数秒でかたづけて無事再浮上しました。
チェースから見ていたS先輩は後で、あれは早すぎて危なく見えたそうですが、乗っている石松はなにが 起こったか後で知った程度でした。
また、チェースをおいて、次の着陸地点を求めて
低空飛行を続けます。
田んぼの真ん中におりると、回収の車まで遠すぎて大変なので、いかに回収しやすい場所に降りるかパイロットN君集中して探してます。
気球の中は、高度計など計器がたくさんあります。
タイマーを10分毎にセットして、ガスの残量をチェックしているようにします。あまり高いところに上がってしまい、ガスが不足すると地上までゆっくり降りる余裕がなくなってしまいます。
地上数mくらいを着地点を探してます。
田んぼの畦に水がたまっているところは、まずいので、以外といいところありません。
時々、バーナーを炊いて、高度を一定に保ちます。これも、長年の経験です。
チェースカーめざして、着陸体制に入ります。
無事着陸して、回収作業です。
現役生が2名、OB4名いますので、回収は簡単です。
解散地点の岩出山役場前まで戻る途中に、気球のガスを充填して、いつでも飛べるように準備してから、
帰路につきます。
現役、OBまじって60人くらいで、記念撮影したあと、
現役会長の胴上げで30周年記念フライトは終わりました。
現役の皆さん、OBの皆さん有り難うございました。
また、10年後、40周年記念の時に皆さん元気で集合いたしましょう。
この後、S先輩に仙台まで送ってもらいました。
S先輩お世話になりありがとうございました。